寒卵即ち破(わ)つて朝餉かな 阿波野青畝
句の「即ち」は=(イコール)の役目をする。「雪即ち白い」「氷即ち冷たい」「火即ち熱い」というように。この「即ち」、イコールの役目をするが数式のように絶対的なイコールではない。多少のブレを持つイコールである。「寒卵」=「割って朝餉」もイコールならば、「寒卵」=「割らず眺める」(寒卵即ち割らず眺めけり)でもいいのである。つまり「即ち」を介してかなり強引に等記号を成立させる表現方法である。このイコールをなるほどと思わせれば「即ち」が効果をあげていることになる。「即ち」によって導かれるものが、「即ち」によって導くものの本質をぐいっととらえていればいいのである。「割らず眺める」よりも「割って朝餉」のほうがはるかに寒卵の本質に迫っていることは疑いない。いかに季語の本質に迫れるか、それが試される「即ち」である。
夏痩をすなはち恋のはじめ哉 正岡子規
青芒すなはち風の吹きおこる 長谷川櫂
白菜をすなはち縦に真二つ 北側松太