主宰様 いつもお世話になっております。 今回は投句受付のメールが見当たらず、投句が上手くできていないかと思ってました。先ほど「ネット句会選句5月」に私の句を確認し、選句を行いました。 お手数をお掛けして申し訳けありません。 返信 ↓
主宰様 いつもお世話になっております。 82 鈴の音と巫女に行き会う梅見かな 新月 1 俳句はもっと単純でいい。 お神楽の鈴の音響く梅見かな 上記の添削をいただきありがとうございました。 俳句は単純でいいは以前にもいただいたお言葉です。 また同じお言葉をいただくのは進歩のない証拠です。 次回よりこのお言葉を心して作句してまいります。 添削ありがとうございました。 返信 ↓
主宰さま 拙句 ◯何もかもコスパ求む世四月馬鹿 に 意味不明とのご指摘をいただきました。 近頃の何にでも効率やコストパフォーマンスばかりを優先させる世にウンザリ。 季語の本意がわからないままに詠みました。 無点も当然。独りよがりでした。 ご指摘ありがとうございました。 返信 ↓
主宰様、私の俳句の感想有り難うございました。〈意味不明〉。自分も改めて「何じゃこりゃー」と、思いました。作った時は、自己満足していました。冷静に且つ客観的に読むと、何じゃこりゃーに。自分の句に酔っていた浅はかさを反省しています。 ブログにも足跡のこす春泥や 返信 ↓
> 65 たんぽぽやぽたりぽたりと日のしづく 燈穂 2 > 日を浴びた雨のしずく、ということでしょうか。 > それとも日差しをしずくにみたてたのか。 > ちょっと曖昧。 感想ありがとうございます。 野のあちこちに日射しが光の粒となって落ち、そこにたんぽぽが生まれるのだと感じました。 たんぽぽが咲いていて、そこにあるいは周りに日の滴がぽたぽた落ちているとも読めます。 感じたことを表現しきれていないのですね。 返信 ↓
「時は今・・」の句について、 主宰さんから頂いた「明智光秀?」の評に、どういう意味、評価なのか考え込みました。 光秀の句の剽窃、またはそれに近いとのご指摘かなと思いましたが、作意としては 大川端の季節到来に盛り上がったひとときを「今」と捉えたかったものです。 返信 ↓
私ごときが書くのは僭越ですが、剽窃ではないと思います。ご安心ください。ただ、時は今 という言葉はどうしても明智光秀の本能寺攻めを思い浮かべてしまいますし、その際に詠んだ句を思い浮かべる方も多いと思います。 とすると、大義を成すための決意を述べた大仰な言葉と、北天さまの中七下五とは離れすぎているのではないかと思います。例えば、入学試験や入社試験に臨む心境との取り合わせだと近いのかと思いますが、これはこれで近すぎるかもしれません。 いずれにしても、歴史上や文学上有名な言葉をそのまま使うのは、意識を共有する意味ではよいのかも知れませんが、その言葉が強すぎるので功罪併せ持つと思います。 もし、失礼な言い方をしていたならお詫びします。 返信 ↓
御説拝見しました。ご指摘有難うございます。 自分としてはさほど大上段に構えたつもりはなく、林先生の「今でしょ」くらいの気持ちが先にありました。 ただ、たしかに何かのイメージに直結するフレーズは使うに難しいのですね。受け取る人によって連想はまちまちであることを考慮していなければならないということでしょうか。気軽に使ってはいけませんね。 返信 ↓
天正10年(1582年)5月27日、織田信長の家臣明智光秀は京都の愛宕山に参詣し、祭神の愛宕権現の前で三度くじを引きました。 くじは三度とも「凶」だったそうです。 翌、5月28日に、愛宕山山内の西坊威徳院で連歌の会が行われました。 『ときは今あめが下しる五月哉→時ハ今天下シル五月哉』 …光秀 (雨と天を掛けて、時は今、自分が天下を治めるべき季節の五月となった) 6月2日、光秀は謀反を起こして京都本能寺を襲撃し、主君を討ちました。 返信 ↓
> 感想 2023年4月19日 > 30 また一つ増えたる薬蜆汁 惠啓 0 > これは剽窃。うっかりとしてもちょっとひどい。 > トンシさまが、2023年4月9日に投稿されました。 > ふと気がついたのですが、3月選句表の15と4月選句表の30 > あまりにも酷似してるんですが、偶然なんでしょうか? 3月選句表の15に対して、主宰は『「又ひとつ薬が増えて」がいい』と直されました。 燈穂は、もしも真似るのであれば、これも踏まえて『またひとつ薬が増えて蜆汁』とするのではないかと考えて、「類想ではないでしょうか」と書きました。 トンシさまのおっしゃるとおりで、良くわかりました。 返信 ↓
27 山の端のほんのり赤し春夕べ ある日 0 あるがままを読んだのでしょうが少しも面白くない。作者に感動がないのか、それとも作者の感動の質が他とことなるのか?との先生の評 私の以前に作った句「日の入りや鉄床雲の縁光る」がありますが、やっぱり面白くないのか本当に難しいですね。自分の理解の域を超えます。反省と消沈 返信 ↓
悦子さま お優しいメッセージ有難うございます。 山の端が少し赤く染まる美しさに感動して、それをそのまま句にしたのですが、主宰がおっしゃるように、確かに面白味のない句です。 山岳部に所属し山に登り続けていた若かりし頃に眺めたモルゲンロートやアーベントロートを思い起こして、普通以上に感動していたのかも知れません。 その意味では独りよがりな句と反省しきりです。 感動をいかに肩ひじ張らずさりげなく表現するか、難しさを感じています。 返信 ↓
悦子さま 私の句はどこにでも転がっている平凡な言葉を繋げただけで、そこに自分の思いや感動が入っていないという主宰のご指摘だと理解しています。正直、安直な作句だったと反省しています。 悦子さまの句は、普段使わない鉄床雲にあなた様の独特の思いを感じることが出来ますし、想像の余地がありそこにふくらみを感じることが出来ます。 素敵な句だと思います。 返信 ↓
主宰様
いつもお世話になっております。
今回は投句受付のメールが見当たらず、投句が上手くできていないかと思ってました。先ほど「ネット句会選句5月」に私の句を確認し、選句を行いました。
お手数をお掛けして申し訳けありません。
主宰様
いつもお世話になっております。
82 鈴の音と巫女に行き会う梅見かな 新月 1
俳句はもっと単純でいい。
お神楽の鈴の音響く梅見かな
上記の添削をいただきありがとうございました。
俳句は単純でいいは以前にもいただいたお言葉です。
また同じお言葉をいただくのは進歩のない証拠です。
次回よりこのお言葉を心して作句してまいります。
添削ありがとうございました。
名前の件、主宰さまからあらためて注意を受けました。申し訳ありません。
4月10日付けのコメント欄に書いているように、今後は選句も投句も冬菊でおこないます。
主宰さま
拙句
◯何もかもコスパ求む世四月馬鹿 に
意味不明とのご指摘をいただきました。
近頃の何にでも効率やコストパフォーマンスばかりを優先させる世にウンザリ。
季語の本意がわからないままに詠みました。
無点も当然。独りよがりでした。
ご指摘ありがとうございました。
主宰様、私の俳句の感想有り難うございました。〈意味不明〉。自分も改めて「何じゃこりゃー」と、思いました。作った時は、自己満足していました。冷静に且つ客観的に読むと、何じゃこりゃーに。自分の句に酔っていた浅はかさを反省しています。
ブログにも足跡のこす春泥や
> 65 たんぽぽやぽたりぽたりと日のしづく 燈穂 2
> 日を浴びた雨のしずく、ということでしょうか。
> それとも日差しをしずくにみたてたのか。
> ちょっと曖昧。
感想ありがとうございます。
野のあちこちに日射しが光の粒となって落ち、そこにたんぽぽが生まれるのだと感じました。
たんぽぽが咲いていて、そこにあるいは周りに日の滴がぽたぽた落ちているとも読めます。
感じたことを表現しきれていないのですね。
「時は今・・」の句について、
主宰さんから頂いた「明智光秀?」の評に、どういう意味、評価なのか考え込みました。
光秀の句の剽窃、またはそれに近いとのご指摘かなと思いましたが、作意としては
大川端の季節到来に盛り上がったひとときを「今」と捉えたかったものです。
私ごときが書くのは僭越ですが、剽窃ではないと思います。ご安心ください。ただ、時は今 という言葉はどうしても明智光秀の本能寺攻めを思い浮かべてしまいますし、その際に詠んだ句を思い浮かべる方も多いと思います。
とすると、大義を成すための決意を述べた大仰な言葉と、北天さまの中七下五とは離れすぎているのではないかと思います。例えば、入学試験や入社試験に臨む心境との取り合わせだと近いのかと思いますが、これはこれで近すぎるかもしれません。
いずれにしても、歴史上や文学上有名な言葉をそのまま使うのは、意識を共有する意味ではよいのかも知れませんが、その言葉が強すぎるので功罪併せ持つと思います。
もし、失礼な言い方をしていたならお詫びします。
御説拝見しました。ご指摘有難うございます。
自分としてはさほど大上段に構えたつもりはなく、林先生の「今でしょ」くらいの気持ちが先にありました。
ただ、たしかに何かのイメージに直結するフレーズは使うに難しいのですね。受け取る人によって連想はまちまちであることを考慮していなければならないということでしょうか。気軽に使ってはいけませんね。
時は今大川端の花と人 と明智光秀の関わりがわからないので、どなたか教えていただけないでしょうか?歴史音痴です。
天正10年(1582年)5月27日、織田信長の家臣明智光秀は京都の愛宕山に参詣し、祭神の愛宕権現の前で三度くじを引きました。
くじは三度とも「凶」だったそうです。
翌、5月28日に、愛宕山山内の西坊威徳院で連歌の会が行われました。
『ときは今あめが下しる五月哉→時ハ今天下シル五月哉』 …光秀
(雨と天を掛けて、時は今、自分が天下を治めるべき季節の五月となった)
6月2日、光秀は謀反を起こして京都本能寺を襲撃し、主君を討ちました。
燈穂様、何時もすぐに質問に応えてくださって有難うございます。勉強になりました。
> 感想 2023年4月19日
> 30 また一つ増えたる薬蜆汁 惠啓 0
> これは剽窃。うっかりとしてもちょっとひどい。
>
トンシさまが、2023年4月9日に投稿されました。
> ふと気がついたのですが、3月選句表の15と4月選句表の30
> あまりにも酷似してるんですが、偶然なんでしょうか?
3月選句表の15に対して、主宰は『「又ひとつ薬が増えて」がいい』と直されました。
燈穂は、もしも真似るのであれば、これも踏まえて『またひとつ薬が増えて蜆汁』とするのではないかと考えて、「類想ではないでしょうか」と書きました。
トンシさまのおっしゃるとおりで、良くわかりました。
27 山の端のほんのり赤し春夕べ ある日 0
あるがままを読んだのでしょうが少しも面白くない。作者に感動がないのか、それとも作者の感動の質が他とことなるのか?との先生の評
私の以前に作った句「日の入りや鉄床雲の縁光る」がありますが、やっぱり面白くないのか本当に難しいですね。自分の理解の域を超えます。反省と消沈
悦子さま
お優しいメッセージ有難うございます。
山の端が少し赤く染まる美しさに感動して、それをそのまま句にしたのですが、主宰がおっしゃるように、確かに面白味のない句です。
山岳部に所属し山に登り続けていた若かりし頃に眺めたモルゲンロートやアーベントロートを思い起こして、普通以上に感動していたのかも知れません。
その意味では独りよがりな句と反省しきりです。
感動をいかに肩ひじ張らずさりげなく表現するか、難しさを感じています。
ある日さま
ご返事ありがとうございます
自覚できるある日さまはうらやましいです。やはり私の句もだめな句ののでしょうね。写生だけではだめ?
先達の何かヒントのほしいところです。
悦子さま
私の句はどこにでも転がっている平凡な言葉を繋げただけで、そこに自分の思いや感動が入っていないという主宰のご指摘だと理解しています。正直、安直な作句だったと反省しています。
悦子さまの句は、普段使わない鉄床雲にあなた様の独特の思いを感じることが出来ますし、想像の余地がありそこにふくらみを感じることが出来ます。
素敵な句だと思います。