106 荒星をぶちまけられて八ヶ岳 うつろひ 3 「ぶちまけられて」に賛否があるところ、普通なら「荒々と星散りばめて八ヶ岳」 コメントありがとうございました。この句はいさささか乱暴ながら「ふと見上げたたときの感動」を ストレートに表現したかった句で、「情景描写、説明」でなく「感動を伝えたかった」というところです。 「荒あらと・・」では見たままの写生句になりますので原句のままで行きたいと思います。 返信 ↓
横入り失礼します。 「オーク樽しんと眠れる」貯蔵庫は、大きな倉庫や地下室などの広い空間なのでしょう。 悠久の時を経て熟成する樽が積み上げられた景が立ち、貯蔵庫の香りも感じられます。 しかし、「しんと眠れる冬山河」とも読めます。 すると、「オーク樽」と「しんと眠れる冬山河」との二物取り合わせとなり、衝撃が生まれません。 主宰は、「しんと眠れる」が樽と山河との両方に掛かるので、詠む対象を絞った方が良い、 あわせて樽の中身も示したいとおっしゃっているのではないでしょうか。 返信 ↓
達者ならを付けてげんまん山眠る いくよ Ⅰ よくわかりませんどなたか解説を 選句者が私一人でしたので私なりの鑑賞を述べます。「山眠る」から山村もしくは山の近く 季節は冬 「達者」「げんまん」から作者は若い方ではない(失礼) 女性 これらの事からイメージした光景は 冬(正月かと思う)に里帰りした作者(もしくは相手の方)が旧友と偶然出会い つもる話の後で「達者でネ」「又 逢おネ」と指切りをしました と言う句だと思います。 「付けて」が微妙ですが 「言って」等より 指から指へ伝わる様な趣を感じました。 返信 ↓
解釈をありがとうございました。多分、そうしたことでしょうか。自分は俳句は「一読 明解」でなければと思っているものです。作者個人の想念 思い入れで句を提示されてもそれは他者には受け入れられないものでしょう。作者が「それもよし それで良し」なら、それもまたその方なりの俳句何でしょうね。 返信 ↓
作者は老い先のことはわからないので「達者なら」という条件をつけての約束をしたのでしょう。自然の山の大きさと老人の細やかな約束という対比も考慮されたのかもしれません。 と、私は解釈しました。この気持ちは分かりますが、俳句が分かりにくいことは否めません。 返信 ↓
皆様方のご検討誠にありがとうございました。 作句の思いは風子様のご解釈のとおりです。 「達者ならを付けて」と「げんまん」の間にもう一つ言葉を含ませたつもりでしたが、曖昧な 表現でした。 松太先生の「意味不明」のご指摘を嚙み締めつつ、思い込みのない明解な作句を心掛けます。 ありがとうございました。 返信 ↓
地に天をずしりと重ねる、とはどのような感じなのか、鏡餅とのかかわりかたも初心の自分にはなかなかイメージもできません、どなたかに簡単にでも説明してもらえれば嬉しいです も、初心のじぶんにはどうしても、イメージも 掴めません、どなたか に簡単にでも説明してもらえればうれしいです 返信 ↓
天は地より広大・・は普通の認識ですよね。2枚重ねの鏡餅、大餅は下(天)、小餅は上(地)。さ~て、トンシさんの疑問、自分も巻き込まれました。ここは一つ作者の自句自解をお伺いしたいものですね。松太師もこの句に何らかの意味を感じられたのでしょうから、未熟の自分には気が付かない何らかの表現比喩があるのかもしれませんが・・。17文字の文芸~むづかしいもんですね。 返信 ↓
> 96 地に天をずしりと重ね鏡餅 和子1 > 面白い。 横入りですみません。 ネットの解説は次のように書かれていました。 『鏡餅を大小二つ重ねるのは、福徳が重なる月(陰)と日(陽)を表すものであり、 福徳が重なって縁起がいいと言われています。』 鏡餅の福徳=陰陽=日月をそのままなぞらずに、おおらかな天地で表現されたのでしょうか。 返信 ↓
53「雪原に筆一筋の大河かな」 凡逃の雪原の「川一筋」よりも、まさに墨絵の筆で描いたような川一筋の方が本質を捉えた佳句と感心しました。先人の句は五万とあって結果的に似通っていてもそれは致し方ないこと。盗作とは異なる。 返信 ↓
斉藤徹さま 喜太郎さんのコメント(2023年1月20日 1:42 PM)に対する書き込みであれば、 喜太郎さんのコメントの最下部にある『返信↓』マーク(リンクボタン)を押されたらいかがでしょうか。 画面上で、元のコメントに関連付けて表示されます。 (なお、このコメントは『返信↓』で書き込みました。) 返信 ↓
斉藤徹さまありがとうございます。 私も盗作とは思っていませんが、凡兆を知っていたらあの句は違う句になっていたと思います。 家のそばの雪原を流れる川の雄大さを詠みたかったのですが、凡兆を知ったいまなら別の視点で考えると思います。 自分の句だけに没頭するだけでなく、名句鑑賞も大切なことを再認識しました。 励ましのお言葉励みになりました。ありがとうございます。 返信 ↓
喜太郎です。 53 雪原に筆一筋の大河かな 喜太郎 7 凡兆の有名な句があって、それを知っている人は選をしない。「ながながと川一筋や雪の原 凡兆」 主宰様のご指摘痛み入ります。凡兆の句の雄大でしなやかなこと。お恥ずかしいかぎりです。勉強させていただきました。選んでいただいた方大変失礼いたしました。改めて精進いたします。 返信 ↓
勤め先の退社間近、さそわれて25人規模の句会に入会したのが俳句修行の始まり。現在は当時の会員 の五人でFAX句会として存続。その間他にも様々な句会に参加しましたが今は脱会。ネット句会のみ。 数年前の私の句「一山を背負う一村冬に入る」を鑑賞して頂き謝々。数ある俳人のなかでも一番尊敬する龍太の句に似ているなどと望外なお言葉。重ねて感謝・感謝です。 返信 ↓
斉藤さま 重ねてのご回答、まことにありがとうございました。 ハンドルネームが『徹』、『斉藤徹』と変遷したことを理解できました。 > 数年前の私の句「一山を背負う一村冬に入る」 素敵な句ですね。 ただ、→矢印 以降のコメントは松太主宰の感想です。 その旨を付記せず失礼いたしました。 掲示板をご覧の皆様、個人的な質問を展開してしまいました。 どうもすみません、終わらせていただきます。 返信 ↓
燈穂様へ。斉藤徹です。自分でも意識しないで斉藤 徹と使っていました。今後は斉藤徹に統一します。何事も細かく解説する燈穂さんの性別気になってしまいました。わかる方法ないでしょうか。 蛇足ですが「中秋の月を見ている祭りだよ」五歳(女)の孫の俳句。 散歩しながらの私の俳句の話を聞いての即興句。月を見るのが人であれば普通の散文。祭りが見ていると言い擬人法も知らない幼子が月と祭りを具象化した。今や孫は二十歳。様々な体験・知識が邪魔して二度とこういう俳句は作れないでしょう。 森澄雄が「俳句は今のいのちを詠う」という意味が今になって分かったような気がします。 私は60才から句会歴25年。今見えてくる景色を詠うことを楽しみにしています。 返信 ↓
斉藤さま ご回答ありがとうございました。 > 私は60才から句会歴25年。 そうなのですか。 そこで重ねての質問で申し訳ございませんが、平成30年(2018年)1月に次の句を作られたのも斉藤さまでしょうか。 当時は名前だけになっておりました。 > 233 一山を背負ふ一村冬に入る 徹 11→いただいた一句。「一山」「一村」の対句が効果的です。龍太の「一月の川一月の谷の中」に通じるものがあります。 返信 ↓
106 荒星をぶちまけられて八ヶ岳 うつろひ 3
「ぶちまけられて」に賛否があるところ、普通なら「荒々と星散りばめて八ヶ岳」
コメントありがとうございました。この句はいさささか乱暴ながら「ふと見上げたたときの感動」を
ストレートに表現したかった句で、「情景描写、説明」でなく「感動を伝えたかった」というところです。
「荒あらと・・」では見たままの写生句になりますので原句のままで行きたいと思います。
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100 オーク樽しんと眠れる冬山河 野夫 1
「モルト眠れる」とはっきりさせたほうがいい。
という句評ですが、元のままの方が樽のたたずまいが見えてよいと私は思います。
横入り失礼します。
「オーク樽しんと眠れる」貯蔵庫は、大きな倉庫や地下室などの広い空間なのでしょう。
悠久の時を経て熟成する樽が積み上げられた景が立ち、貯蔵庫の香りも感じられます。
しかし、「しんと眠れる冬山河」とも読めます。
すると、「オーク樽」と「しんと眠れる冬山河」との二物取り合わせとなり、衝撃が生まれません。
主宰は、「しんと眠れる」が樽と山河との両方に掛かるので、詠む対象を絞った方が良い、
あわせて樽の中身も示したいとおっしゃっているのではないでしょうか。
達者ならを付けてげんまん山眠る いくよ Ⅰ よくわかりませんどなたか解説を
選句者が私一人でしたので私なりの鑑賞を述べます。「山眠る」から山村もしくは山の近く 季節は冬 「達者」「げんまん」から作者は若い方ではない(失礼) 女性 これらの事からイメージした光景は 冬(正月かと思う)に里帰りした作者(もしくは相手の方)が旧友と偶然出会い つもる話の後で「達者でネ」「又 逢おネ」と指切りをしました と言う句だと思います。 「付けて」が微妙ですが 「言って」等より 指から指へ伝わる様な趣を感じました。
解釈をありがとうございました。多分、そうしたことでしょうか。自分は俳句は「一読 明解」でなければと思っているものです。作者個人の想念 思い入れで句を提示されてもそれは他者には受け入れられないものでしょう。作者が「それもよし それで良し」なら、それもまたその方なりの俳句何でしょうね。
解説をいただいてますますわからない句になりました。(北側松太)
作者は老い先のことはわからないので「達者なら」という条件をつけての約束をしたのでしょう。自然の山の大きさと老人の細やかな約束という対比も考慮されたのかもしれません。
と、私は解釈しました。この気持ちは分かりますが、俳句が分かりにくいことは否めません。
皆様方のご検討誠にありがとうございました。
作句の思いは風子様のご解釈のとおりです。
「達者ならを付けて」と「げんまん」の間にもう一つ言葉を含ませたつもりでしたが、曖昧な
表現でした。
松太先生の「意味不明」のご指摘を嚙み締めつつ、思い込みのない明解な作句を心掛けます。
ありがとうございました。
地に天をずしりと重ねる、とはどのような感じなのか、鏡餅とのかかわりかたも初心の自分にはなかなかイメージもできません、どなたかに簡単にでも説明してもらえれば嬉しいです
も、初心のじぶんにはどうしても、イメージも
掴めません、どなたか
に簡単にでも説明してもらえればうれしいです
天は地より広大・・は普通の認識ですよね。2枚重ねの鏡餅、大餅は下(天)、小餅は上(地)。さ~て、トンシさんの疑問、自分も巻き込まれました。ここは一つ作者の自句自解をお伺いしたいものですね。松太師もこの句に何らかの意味を感じられたのでしょうから、未熟の自分には気が付かない何らかの表現比喩があるのかもしれませんが・・。17文字の文芸~むづかしいもんですね。
> 96 地に天をずしりと重ね鏡餅 和子1
> 面白い。
横入りですみません。
ネットの解説は次のように書かれていました。
『鏡餅を大小二つ重ねるのは、福徳が重なる月(陰)と日(陽)を表すものであり、
福徳が重なって縁起がいいと言われています。』
鏡餅の福徳=陰陽=日月をそのままなぞらずに、おおらかな天地で表現されたのでしょうか。
白障子にうつる影、気配は、ちょっと怖いものがあります、何もあるはずがないとは思うのに、もしや、、、と 自分もそんな感覚を持つことがあります、先生もやはり、と思いました
53「雪原に筆一筋の大河かな」
凡逃の雪原の「川一筋」よりも、まさに墨絵の筆で描いたような川一筋の方が本質を捉えた佳句と感心しました。先人の句は五万とあって結果的に似通っていてもそれは致し方ないこと。盗作とは異なる。
斉藤徹さま
喜太郎さんのコメント(2023年1月20日 1:42 PM)に対する書き込みであれば、
喜太郎さんのコメントの最下部にある『返信↓』マーク(リンクボタン)を押されたらいかがでしょうか。
画面上で、元のコメントに関連付けて表示されます。
(なお、このコメントは『返信↓』で書き込みました。)
斉藤徹さまありがとうございます。
私も盗作とは思っていませんが、凡兆を知っていたらあの句は違う句になっていたと思います。
家のそばの雪原を流れる川の雄大さを詠みたかったのですが、凡兆を知ったいまなら別の視点で考えると思います。
自分の句だけに没頭するだけでなく、名句鑑賞も大切なことを再認識しました。
励ましのお言葉励みになりました。ありがとうございます。
喜太郎です。
53 雪原に筆一筋の大河かな 喜太郎 7
凡兆の有名な句があって、それを知っている人は選をしない。「ながながと川一筋や雪の原 凡兆」
主宰様のご指摘痛み入ります。凡兆の句の雄大でしなやかなこと。お恥ずかしいかぎりです。勉強させていただきました。選んでいただいた方大変失礼いたしました。改めて精進いたします。
。掲示板の、皆様の、やりとりは迷惑どころか勉強にもなり、
楽しませて頂いております。何もない空欄は、かえって、さびしいです。
勤め先の退社間近、さそわれて25人規模の句会に入会したのが俳句修行の始まり。現在は当時の会員
の五人でFAX句会として存続。その間他にも様々な句会に参加しましたが今は脱会。ネット句会のみ。
数年前の私の句「一山を背負う一村冬に入る」を鑑賞して頂き謝々。数ある俳人のなかでも一番尊敬する龍太の句に似ているなどと望外なお言葉。重ねて感謝・感謝です。
斉藤さま
重ねてのご回答、まことにありがとうございました。
ハンドルネームが『徹』、『斉藤徹』と変遷したことを理解できました。
> 数年前の私の句「一山を背負う一村冬に入る」
素敵な句ですね。
ただ、→矢印 以降のコメントは松太主宰の感想です。
その旨を付記せず失礼いたしました。
掲示板をご覧の皆様、個人的な質問を展開してしまいました。
どうもすみません、終わらせていただきます。
燈穂様へ。斉藤徹です。自分でも意識しないで斉藤 徹と使っていました。今後は斉藤徹に統一します。何事も細かく解説する燈穂さんの性別気になってしまいました。わかる方法ないでしょうか。
蛇足ですが「中秋の月を見ている祭りだよ」五歳(女)の孫の俳句。
散歩しながらの私の俳句の話を聞いての即興句。月を見るのが人であれば普通の散文。祭りが見ていると言い擬人法も知らない幼子が月と祭りを具象化した。今や孫は二十歳。様々な体験・知識が邪魔して二度とこういう俳句は作れないでしょう。
森澄雄が「俳句は今のいのちを詠う」という意味が今になって分かったような気がします。
私は60才から句会歴25年。今見えてくる景色を詠うことを楽しみにしています。
斉藤さま
ご回答ありがとうございました。
> 私は60才から句会歴25年。
そうなのですか。
そこで重ねての質問で申し訳ございませんが、平成30年(2018年)1月に次の句を作られたのも斉藤さまでしょうか。
当時は名前だけになっておりました。
> 233 一山を背負ふ一村冬に入る 徹 11→いただいた一句。「一山」「一村」の対句が効果的です。龍太の「一月の川一月の谷の中」に通じるものがあります。