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  1. 松太先生
    一年間ご指導を有難うございました。
    この度の記録的な大雪に、被害が最小であることをお祈りするばかりです、
    どうぞよいお年をお迎え下さいませ。

  2. 主宰様、うつろひ様、感想を有り難う御座いました。
    選句して頂きました、縁矢様、有り難う御座いました。
    落ち葉の灯は、放射冷却の晩秋の朝の日の句です。旭に透けた落ち葉が、灯火のように見えました。美しい景色でした。
    冬の道と朝の道の選択ミスでした。

  3. うつろひ です。勝手に自己解釈 鑑賞です。

    40  老いてなほ美しく化粧の柿落葉  はぼたん  0  

     意味不明です
    作者は、他の落葉は一色の落葉ですが柿落葉は「化粧した彩模様」と言いたかったのでは。

    42  落葉の灯ようよう透けて冬の道  花埜  1

     「落葉の灯」が難解。路上にある落葉と「灯」の関係がよくわかりません。

    「灯」は「陽」の誤植だったのでは。「陽」ならなんとなく理解できるような。

    41  背を向けて言われる別れ石蕗の花  ほのる  1

     ちょっと分かりにくい。別れを告げられたということか?

    相手は女性でしょう。「背を向けろ」といわるるは「着ているものを直すとき・・」つまり「後朝の別れ」というシチュエーションでしょうか。俳句ですから様々に比喩や暗喩を駆使することも有りでしょう。読み手の見当違いの解釈も有り有りと思います。読み手の「なんとか読み取り解釈の努力」も必要でしょうか? それでもなんとも読解できないのは「一人よがりの句」なんでしょうね。

  4. デラシネです。
    ◯おなもみに弄ばれてまみむめも

    揚句↑
    意味不明とのご指摘いただきました。
    独り合点でした。
    ありがとうございます。

    荒れ畑の手入れをと身支度整えてかかるも
    あちこちにオナモミのタネがくっついて。
    取り除くのにしばらく費やされてしまいます。
    弄ばれているようで ムムムという気持ちを込めたのですが……

    • 私は最初おもしろいなと気になって、選句しましたが後に、
      川柳っぽいかな?と、思い変えました。状況は、私なりにはなんだか
      よくわかります。

  5. 岩魚です。80「ちぎれ雲ひねもす黙の蜘蛛の網」の句 先生から意味不明との感想をいただきなした。どこがいけないのか自分ではわからなかったのでどなたか教えていただけませんか
     おねがいいたします。

    • ひねもす黙
      がどこにかかるのか、私もわかりませんでした、自分の心意
      は自分では
      充分把握してるはずなのに
      、他人に
      伝わらない事度々ありますよね 私もよくあります、
      一言手を加えていただくと、目が覚めた思いがします 私なんか、先生の添削は、魔法のようだなと思います、

        • 岩魚さま

          「ひねもす黙の」を「ひねもす黙に」にしても、どこにかかるのか分かりにくいと思います。なぜなら、「ちぎれ雲」も「蜘蛛の網」も、普段から「黙」であるからです。これが例えば「椋の群れ」とか「日本海」など、普段は「黙」だと考えられにくいものであれば、どこにかかるかは別として、分かりやすいのではないでしょうか。

          あるいは「ひねもす黙」は、ちぎれ雲でも蜘蛛の網でもなく、ご自分(あるいはどなたか、ヒト)である場合もあろうかと思いますが、岩魚さんかどのような背景でこの句を詠まれたのか、教えていただければ幸いです。

    • 上五「ちぎれ雲」名詞で切れて、「ひねもす黙の蜘蛛の網」。
      中七が下五を修飾し、「ひねもす黙の」が「蜘蛛の網」に掛かっています。
      一日中黙っているのは、作者です。
      しかし、無言の「蜘蛛の網」が擬人化されているように読めて、意味が取れません。
      語順を変え、下五を人事にして、「蜘蛛の囲やひねもす黙の納屋仕事」とすればいかがしょうか。
      素人考えなので、違っていたらごめんなさい。

      • 岩魚です。皆さんのコメントありがたく拝聴しております。
        私の句は「ちぎれ雲」と「ひねもす黙の蜘蛛の網」との取り合わせと考えておりましたが、
        付きすぎ
        擬人化
        「ひねもす」がどこに掛かるかが不明などのご指摘をうけました。
         先生の意味不明の指摘を具体的に聞きたいところでもあります。それから私が気になったのが、「ひねもす」は副詞で用言にかかるべきとのことで文法的にも疑問が湧いてきました。

    • 岡田さま
      良くわかりました、ありがとうございます。
      私は、「遺贈の碁石」を縮めて「遺石」なのかと思って読んでおりました。
      亡くなられた方が愛されていた碁石ということであれば、碁敵からの形見でもいいし、対局相手の自分のものであってもいいし、誰の物(だった)かにこだわらないことになりますね。

  6. 44  この冬は淋しからん師の館   

    「淋しからんに」または「淋しからんや」でしょうか。「天上も淋しからんに燕子花 鈴木六林男」
    ご指導有難うございます。「淋しからんに」は全く思いつきませんでした。この場合の『に』はどういう働きをしているのでしょうか?助詞なのか副詞なのか、どのような意味になるのでしょうか?
    このような使い方をしたことが無く、六林男の俳句が素晴らしいと思えば思うほど、この『からんに』の意味合いを知りたく思います。色々調べてみましたが、このような使い方は出てきません。
    どなたかご教示いただけないでしょうか?

    • 松太です。

      「淋しからんに」の「ん」は推量の助動詞です。「む」とも表記します。「淋しからず」の未然形に接続しますので、「「淋しからん」で意味は「淋しいだろう」ということ、それに助詞「に」がつけば、「淋しいだろうに」という意味になります。

    • 燈穂です。
      「淋しからんに」については、主宰が解説されました。
      助詞「に」はいろんな意味がありますが、そのうしろに[単純接続]するのでしょう。
      https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%AB
      ある日様が『六林男の俳句が素晴らしい』と書かれていますので、私は、ネットで俳人の観賞を調べてみました。
      (1)スピカによれば、「に」は天上と地上、あの世とこの世を繋ぐ役割を果たしていると観賞しています。
      (2)俳人あらきみほの俳句Noteでは、作者の背景を踏まえた観賞をされています。
      ご参考になれば幸です。
      —————————-
      「天上」は「天」そのものと見る以外に、死者たちの集う「あの世」として解釈できるであろう。
      中七に助詞の「に」が使用されており、この「に」の存在が、「天上」と「地上」、「あの世」と「この世」の双方を繋ぐ役割を果たしている。
      「この世」の「淋し」さと共に実感される「天上」の世界の「淋し」さ。
      作者が戦中派であることを考えると、この思いは一層苦い。
      この句には、人という存在そのものが宿命的に抱え込んでいる悲しさや「淋し」さといったものが色濃く漂っているといえよう。
      【スピカ 俳句のウェブマガジン】より
      http://spica819.main.jp/100syosyo/5375.html
      —————————-
      鈴木六林男は燕子花を眺めながら、新興俳句運動で闘うように新しい俳句を目指した友や、中国やフィリピンの戦場で闘った友を詠んだ。
      「酒をのむ五人と一人足から冷ゆ」や「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」のように、亡くなった友を思った。
      天上に逝ったあの世の友も淋しいが、友がこの世からいなくなってゆく私も淋しい。
      こうした淋しさは、燕子花のもつ孤高の美しさと響き合う。
      【俳人あらきみほの俳句Note】より
      https://miho.opera-noel.net/archives/587
      —————————-

      • 主宰様、燈穂様

        ご丁寧な説明有難うございます。
        燈穂様のおっしゃるように、単純接続と考えると、「淋しからんに」のあとに余韻が生まれているように感じます。
        まだ、完全に理解できたわけではないですが、このような『に』の使い方が自然にできるように精進したいと思います。
        主宰様のご指導、燈穂様のご説明、本当にありがとうございます。
        もやもやしていた霧が晴れた心地です。

  7. 龍太
    頭で考えて述べるのは事柄。俳句の散文化。描写・記述でどうしたこうしたという媚態。現実の世界から、想像などはしない。作られたものとは意味でつくり、感動を説明している句。感動を説明されたら辟易するだけ。感動したものそのものを描写し具体的に物を示す。
    楸邨
    現代の客観写生の俳句には擬態・しな上面だけの手練手管、自分をよく見せようとする気取りがある。末梢的な巧みさ。額縁的自然を自然と取り違えている。小主観の美観の枠のなかに入り過ぎている。概念の追求が生で出ている。
    双魚
    俳句は観念や常識や概念ではない。ものの表示だけで足りる。考え(観念・常識・概念・事柄・原因結果・常套・類想)を述べるな。感じたことを具象を事実を示すだけ。それが詩。

  8. 選句いたしました柚子です。

    36  碁敵の遺石磨くや星月夜  岡田 絮  4

     よくわからなかった一句、どなたか解説を。

    「遺石」という言葉があるのかどうか分かりませんが、「碁敵の」とありますから遺品となった碁石と理解した上でこの句を鑑賞しました。父も時々碁笥から出し碁石を拭いていましたが、作者も友が亡くなって、遺された碁石の手入れをしながらその方との在りし日を思い出されているのでしょうか?「星月夜」が「碁石」と響き合って、対局相手としての友への哀惜が伝わって参りました。
    こんな鑑賞を致しましたが・・・

    • 燈穂です。
      私は選んでおりませんが、柚子さまのご鑑賞をなるほどと拝読しました。
      さて、『「遺石」という言葉があるのかどうか分かりませんが』とあります。
      辞書(国語辞典)には無いようです。
      ネットを検索しますと、供養のために故人の遺骨を粉砕して石に成型する「遺石」があるようです。
      置き石、ペンダント、ブレスレットなどに加工して身近に置き、故人を供養するものです。
      決して宣伝をするつもりはありませんが、ヒットしたURLを付記します。
      https://www.aurvia.com/

      • 燈穂様

        絮さんにお聞きしないと分かりませんがこの句では「遺石」は供養のための物かもしれませんね。
        父の姿を思い出しながら自己流の解釈をしました。有り難うございました!

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