40 春浅し陸に揚がりし丸子船 デラシネ 0 むしろ「のどか」か? のどかにも陸に揚がりし丸子船 コメントありがとうございます。 まだ寒さの残る湖北を訪れました。 水から離され、静かに置かれた丸子船 どこか「用済み」といった寂を感じたのですが‥ 返信 ↓
20 せせらぎの音、、の英華です。 芹は小川のせせらぎ(再流)の水辺に腰を下ろして摘みました。 湿地ではありません。ご指摘を受けたのでその小川にも行ってまいりました。 句評というより校閲を受けているような気がします。 僭越なコメントで申し訳ありません。 返信 ↓
主宰様 添削有難うございます。 25[明けやらぬ静寂に鳴くや寒鴉] 「静寂震はせ寒鴉」苦しんだ部分です。とても満足です。 燈穂様 月締めの(感想への賛)楽しみにしております。 「三千世界の…主と朝寝をしてみたい」この名言高杉晋作とは知りませんでした。有難うございます。 言葉の流れから繋がりが出来て 私の世界も広がった気がします。 有難うございました。 返信 ↓
2月分【感想への賛】 原句の着眼や詩情が、主宰の添削によって生きます。 こういうふうに詠めばいいのだと、勉強になります。 > 12 大根干す特養の窓開きたり 燈穂 2 「特養の窓開け放ち」がいい。『大根干す特養の窓開け放ち』 →窓を開ければ、顔馴染みの介護士が会釈してくれます。 25 明けやらぬ静寂に鳴くや寒鴉 ウサウサ 0 すっきりとした形のいい俳句ですが、パンチ力が今一つ。『明けやらぬ静寂震はせ寒鴉』 →「三千世界の」と晋作が詠んだとおり、烏の声はけたたましいです。 60 参道に潮香人の香春立ちぬ 気儘 0 「潮の香」だけでいい。『参道に届く潮の香春たちぬ』 →海の眺め、たゆたう潮騒、かすかな潮の香、春の海です。 69 長湯して火の用心の鐘が行く 朝竹 1 面白いのですが、もう少しすっきり。『寒柝の音遠ざかる長湯かな』 →40度の湯に10分浸かれば深部体温が上がり、健康に良いとか。 75 妻にまだ花のいのちや寒の紅 荒一葉 3 「老妻に花の命や」ならば分かる一句。『老いてなほ花の命や寒の紅』 →はんなりした老妻をあたたかく見守ります。 90 別れとは残されること冬座敷 名負人 8 季語「冬座敷」ではせっかくのドラマが台無し。ここは生活感のある季語を。『別れとは残されること菜雑炊』 →「冬座敷」に一人ぽつねんも寂寥がありますが、残り汁で作るやもめの「雑炊」にはいっそう哀愁が漂います。 返信 ↓
93 いつまでも嘘をついてよ毛糸編む 渓二 「嘘ついてよ」が普通とのご指摘。ありがとうございます。確かにありきたりの情景と思いました。 ならば、ちょっと恐いですが… いつまでも嘘をつくのか毛糸編む とします。 返信 ↓
下記の句に講評いただきありがとうございました。 79 キリシタンの古老住む家枇杷の花 新月 0 いつの時代の話? これは長崎県のキリシタン資料館を訪れた後に詠んだ句です。 キリシタン資料館の展示を見た時の描写があるので、時代錯誤と言われても仕方ないかと思います。 自分なりの工夫は長崎の特産品の一つである枇杷と訪れた時期の冬を句の中に残したく思い、季語として枇杷の花を選びました。 選句者が0、主宰様からの評も御覧の通りで、こういう句は説明がないと鑑賞者にはちんぷんかんぷんということがわかりました。 58 雪兎一夜限りの契りかな 新月 1 意味不明 上記2句のように説明がないと句の意味が取れない投句は今後控えます。 これからもよろしくお願いいたします。 返信 ↓
おかゆからご飯に変わり、どんなにかホッとされたことでしょう。病院で看病に明け暮れていた日々が 思い出されました。少しずつもう春が近づいてきています。自分にとってはすごく良く分かる心境として、 読ませていただきました。 返信 ↓
29 お粥からご飯に替わり春隣 山水 6 6点も入っていますが、これもよく分からない俳句、どなたか解説を。 > トンシさんのおっしゃるとおり、入院食のことかとわかります。 しかしながら、燈穂の屁理屈もご一読願います。 健常者の食事なら、粥では足りずに飯を御代わりすることがあります。 病院と特定しないと、よく分からない景になります。 厚労省の定義で病院、学校、福祉施設等で提供される食事は「給食」。 病気や状態に合わせた食事なら「治療食」です。 理屈ばかりで味気なくなりますが『治療食粥から飯に春隣』でしょうか。 返信 ↓
巻鮨の渦のいろどり追儺の夜 “やや当たり前”との指摘をいただき、あらためて句をみると、なるほどそのとおりだなと納得しました。 いつ頃からか、節分に太巻きをまるまる一本、恵方に受かって、黙って食べる風習ができ、歳を取ると、結構きつく、目の前の太巻きの渦をしげしげ、恨めしく眺めた様子を詠んだものです こんな風習は多分大阪辺りから広まったのかとおもいますが、新潟ではどうでしょうか? また全国的にはどうでしょうか? 返信 ↓
40 春浅し陸に揚がりし丸子船 デラシネ 0
むしろ「のどか」か?
のどかにも陸に揚がりし丸子船
コメントありがとうございます。
まだ寒さの残る湖北を訪れました。
水から離され、静かに置かれた丸子船
どこか「用済み」といった寂を感じたのですが‥
主宰様へ 投句の後で気が付きました。今回の選句が入院中で出来ません。選句の期日前にボツにしてください、投句の取り消し方法が分からなく、お手数ですが宜しくお願い致します。申し訳ございません。
20 せせらぎの音、、の英華です。
芹は小川のせせらぎ(再流)の水辺に腰を下ろして摘みました。
湿地ではありません。ご指摘を受けたのでその小川にも行ってまいりました。
句評というより校閲を受けているような気がします。
僭越なコメントで申し訳ありません。
再流訂正、細流です。
主宰様
添削有難うございます。
25[明けやらぬ静寂に鳴くや寒鴉] 「静寂震はせ寒鴉」苦しんだ部分です。とても満足です。
燈穂様
月締めの(感想への賛)楽しみにしております。
「三千世界の…主と朝寝をしてみたい」この名言高杉晋作とは知りませんでした。有難うございます。
言葉の流れから繋がりが出来て 私の世界も広がった気がします。
有難うございました。
2月分【感想への賛】
原句の着眼や詩情が、主宰の添削によって生きます。
こういうふうに詠めばいいのだと、勉強になります。
>
12 大根干す特養の窓開きたり 燈穂 2
「特養の窓開け放ち」がいい。『大根干す特養の窓開け放ち』
→窓を開ければ、顔馴染みの介護士が会釈してくれます。
25 明けやらぬ静寂に鳴くや寒鴉 ウサウサ 0
すっきりとした形のいい俳句ですが、パンチ力が今一つ。『明けやらぬ静寂震はせ寒鴉』
→「三千世界の」と晋作が詠んだとおり、烏の声はけたたましいです。
60 参道に潮香人の香春立ちぬ 気儘 0
「潮の香」だけでいい。『参道に届く潮の香春たちぬ』
→海の眺め、たゆたう潮騒、かすかな潮の香、春の海です。
69 長湯して火の用心の鐘が行く 朝竹 1
面白いのですが、もう少しすっきり。『寒柝の音遠ざかる長湯かな』
→40度の湯に10分浸かれば深部体温が上がり、健康に良いとか。
75 妻にまだ花のいのちや寒の紅 荒一葉 3
「老妻に花の命や」ならば分かる一句。『老いてなほ花の命や寒の紅』
→はんなりした老妻をあたたかく見守ります。
90 別れとは残されること冬座敷 名負人 8
季語「冬座敷」ではせっかくのドラマが台無し。ここは生活感のある季語を。『別れとは残されること菜雑炊』
→「冬座敷」に一人ぽつねんも寂寥がありますが、残り汁で作るやもめの「雑炊」にはいっそう哀愁が漂います。
93 いつまでも嘘をついてよ毛糸編む 渓二
「嘘ついてよ」が普通とのご指摘。ありがとうございます。確かにありきたりの情景と思いました。
ならば、ちょっと恐いですが…
いつまでも嘘をつくのか毛糸編む
とします。
下記の句に講評いただきありがとうございました。
79 キリシタンの古老住む家枇杷の花 新月 0
いつの時代の話?
これは長崎県のキリシタン資料館を訪れた後に詠んだ句です。
キリシタン資料館の展示を見た時の描写があるので、時代錯誤と言われても仕方ないかと思います。
自分なりの工夫は長崎の特産品の一つである枇杷と訪れた時期の冬を句の中に残したく思い、季語として枇杷の花を選びました。
選句者が0、主宰様からの評も御覧の通りで、こういう句は説明がないと鑑賞者にはちんぷんかんぷんということがわかりました。
58 雪兎一夜限りの契りかな 新月 1
意味不明
上記2句のように説明がないと句の意味が取れない投句は今後控えます。
これからもよろしくお願いいたします。
No65への添削有難うございます。
とてもすっきりと、サラッとした句になっております。 本当17文字の表現方法、奥が深いです。
おかゆからご飯に変わり、どんなにかホッとされたことでしょう。病院で看病に明け暮れていた日々が
思い出されました。少しずつもう春が近づいてきています。自分にとってはすごく良く分かる心境として、
読ませていただきました。
29 お粥からご飯に替わり春隣 山水 6
6点も入っていますが、これもよく分からない俳句、どなたか解説を。
>
トンシさんのおっしゃるとおり、入院食のことかとわかります。
しかしながら、燈穂の屁理屈もご一読願います。
健常者の食事なら、粥では足りずに飯を御代わりすることがあります。
病院と特定しないと、よく分からない景になります。
厚労省の定義で病院、学校、福祉施設等で提供される食事は「給食」。
病気や状態に合わせた食事なら「治療食」です。
理屈ばかりで味気なくなりますが『治療食粥から飯に春隣』でしょうか。
巻鮨の渦のいろどり追儺の夜 “やや当たり前”との指摘をいただき、あらためて句をみると、なるほどそのとおりだなと納得しました。 いつ頃からか、節分に太巻きをまるまる一本、恵方に受かって、黙って食べる風習ができ、歳を取ると、結構きつく、目の前の太巻きの渦をしげしげ、恨めしく眺めた様子を詠んだものです
こんな風習は多分大阪辺りから広まったのかとおもいますが、新潟ではどうでしょうか? また全国的にはどうでしょうか?