燈穂です。 海鞘(ホヤ)について、ネットの情報を抜粋してみました。 34 人間の祖かとも思ふ海鞘を喰ふ 凡士 1 ちょっとどきっとする俳句。 > 海鞘(ホヤ)は貝ではありません。 ホヤの成体は人間と体の構造が全く異なりますが人間と同じ「脊索動物門」に属します。 ホヤの幼生はオタマジャクシのような形をしていて海の中を泳いでいます。 幼生は脊椎を持ちませんが、脊椎のもとになる脊索(せきさく)を持っています。 ホヤの幼生には人間の脳と基本構造が共通した脳があり、小さな眼(眼点)もあります。 ホヤ幼生の脳や眼は細胞レベルでも遺伝子レベルでもヒトの脳や眼に似ています。 ホヤは人間にもっとも近い無脊椎動物です。 返信 ↓
12 花火師の幕間毎に影躍る 二石 6 「幕間」が聞きなれない言葉、どなたか解説を。 どなたからもコメンとがないので失礼致します。 幕間(まくあい)は演劇で一幕が終わり次の一幕が始まる迄の間。 舞台に幕が下りている間を言います。 上句の場合は花火が上り、次の花火を上げるために忙しく動きまわっている 花火師さんのことを詠まれたのだと思います。 返信 ↓
19 大石がりくへ名残りの天神祭り 瞳人 0 内蔵助が妻女を連れて「天神祭り」に入ったということか?ちょっとわかりにくいのですが、史実に基づいた俳句も面白い。有名なところでは蕪村の「野分」の俳句。 隆慶一郎「時代小説の愉しみ」(講談社文庫・絶版?)によると、りくは何よりもお祭りの好きな女(お祭り女房)だった。山科にこもった内蔵助が赤穂からりくを呼び寄せるにあたり、大石家の書生に、りくと子供を連れて天神祭りを見せてやる、という計らいをしたとの史実を、古書に見つけたとある。原文は昭61年8月8日付朝日紙。(このころすでに、夫と妻は討ち入りを心に通じあっていた、ということのよう) 返信 ↓
主宰様 121 麻を身に纏ふ楽しさ夏に入る 冬菊 →下五、季重なりを避ける工夫を。「浜を行く」くらいでもOK。『麻を身に纏ふ楽しさ浜を行く』 と添削していただきありがとうございます。今住んでいるところから浜は遠く、また最近は行くこともないのですが、発想を少し遠くに飛ばすことを心がけたいです。 自分では「身に」か「纏ふ」どちらか一つの方が良かったかな、ということを気にしていたのですが、問題はそこではなかったのですね。 大呂句集の方には先に投稿したので、直しのないないまま載ってしまいました。 今後ともよろしくお願いいたします 返信 ↓
主宰様 夕菅の風の行方に富士暮るる の句を直していただきありがとうございます。 夕菅の風に暮るるや富士の山 行方は不要と教えていただきすっきして良かったです。 今後ともよろしくお願いいたします 返信 ↓
7月分【感想への賛】 原句の着眼や詩情が、主宰の添削によって生きます。 こういうふうに詠めばいいのだと、勉強になります。 > 15 薄荷糖舌に遊ばせ梅雨籠 柚子 2 動きのある季語がいい。『薄荷糖舌に遊ばせ水を打つ』 →薄荷糖を舐めながらの打ち水は清涼感に溢れます。 33 心太格子戸越しに浜の風 気儘 4 季語が「心太」ではあまりにもおあつらえ向き。季語を探すのも俳句の醍醐味。『心太格子戸抜ける浜の風』 →格子戸から風も景色も抜けて来ます。 67 夕菅の風の行方に富士暮るる 松の 1 「行方」は不要。『夕菅の風に暮るるや富士の山』 →野の広さとユウスゲの儚さを感じます。 75 高架下まずはビールの昭和かな なつ子 4 もっとすっきり、『E電が頭上を走るビールかな』 →帰りに一杯やりたくなりました。 121 麻を身に纏ふ楽しさ夏に入る 冬菊 2 下五、季重なりを避ける工夫を。「浜を行く」くらいでもOK。『麻を身に纏ふ楽しさ浜を行く』 →麻を着て波打ち際を歩く、爽やかな夏です。 141 梅雨の月姉との電話切りがたく ウサウサ 1 季語がちぐはぐ。「姉との電話切りがたく」これが生きる季語は?『さくらんぼ姉との電話切りがたく』 →桜桃が届き、お礼の電話をしたら故郷の近況が語られます。 返信 ↓
燈穂さま 121 麻を身に纏ふ楽しさ夏に入る 冬菊 →『麻を身に纏ふ楽しさ浜を行く』 →麻を着て波打ち際を歩く、爽やかな夏です。 本当にそうですね。事実からなかなか抜けられない自分が歯がゆいです。 感想を下さり、ありがとうございます。 返信 ↓
主宰様、暑い中をありがとうございます。 コメント欄がdesktopになると表示されていません。Mobile では表示されます。それでコメント欄にコメントが無いのではないでしょうか? 燈穂様が不思議に思っていたので、今気が付いてコメントしました。 かしこ 返信 ↓
花埜さま 松のさまは、5月分と6月分の自句に一度にコメントされています。 以前5月分【感想への賛】にて、松のさまの句と主宰の直しとに賛を書きました。 古いコメントを遡れば表示されます。 なお、主宰の直しであって燈穂の助言ではありません、松のさまの勘違いです。 —————————- 燈穂 2024年6月5日7:12AMより: 5月分【感想への賛】 返信 ↓
燈穂です。
海鞘(ホヤ)について、ネットの情報を抜粋してみました。
34 人間の祖かとも思ふ海鞘を喰ふ 凡士 1
ちょっとどきっとする俳句。
>
海鞘(ホヤ)は貝ではありません。
ホヤの成体は人間と体の構造が全く異なりますが人間と同じ「脊索動物門」に属します。
ホヤの幼生はオタマジャクシのような形をしていて海の中を泳いでいます。
幼生は脊椎を持ちませんが、脊椎のもとになる脊索(せきさく)を持っています。
ホヤの幼生には人間の脳と基本構造が共通した脳があり、小さな眼(眼点)もあります。 ホヤ幼生の脳や眼は細胞レベルでも遺伝子レベルでもヒトの脳や眼に似ています。
ホヤは人間にもっとも近い無脊椎動物です。
12 花火師の幕間毎に影躍る 二石 6
「幕間」が聞きなれない言葉、どなたか解説を。
どなたからもコメンとがないので失礼致します。
幕間(まくあい)は演劇で一幕が終わり次の一幕が始まる迄の間。
舞台に幕が下りている間を言います。
上句の場合は花火が上り、次の花火を上げるために忙しく動きまわっている
花火師さんのことを詠まれたのだと思います。
19 大石がりくへ名残りの天神祭り 瞳人 0
内蔵助が妻女を連れて「天神祭り」に入ったということか?ちょっとわかりにくいのですが、史実に基づいた俳句も面白い。有名なところでは蕪村の「野分」の俳句。
隆慶一郎「時代小説の愉しみ」(講談社文庫・絶版?)によると、りくは何よりもお祭りの好きな女(お祭り女房)だった。山科にこもった内蔵助が赤穂からりくを呼び寄せるにあたり、大石家の書生に、りくと子供を連れて天神祭りを見せてやる、という計らいをしたとの史実を、古書に見つけたとある。原文は昭61年8月8日付朝日紙。(このころすでに、夫と妻は討ち入りを心に通じあっていた、ということのよう)
主宰様
121 麻を身に纏ふ楽しさ夏に入る 冬菊
→下五、季重なりを避ける工夫を。「浜を行く」くらいでもOK。『麻を身に纏ふ楽しさ浜を行く』
と添削していただきありがとうございます。今住んでいるところから浜は遠く、また最近は行くこともないのですが、発想を少し遠くに飛ばすことを心がけたいです。
自分では「身に」か「纏ふ」どちらか一つの方が良かったかな、ということを気にしていたのですが、問題はそこではなかったのですね。
大呂句集の方には先に投稿したので、直しのないないまま載ってしまいました。
今後ともよろしくお願いいたします
燈穂様 夕菅の句を 主宰に直していただきすっきりとした句になりました
野の広さと夕菅の儚さを感じてくださり、ありがとうごうございます。
お目にとめていただきありがとうございました。
主宰様 夕菅の風の行方に富士暮るる
の句を直していただきありがとうございます。
夕菅の風に暮るるや富士の山
行方は不要と教えていただきすっきして良かったです。
今後ともよろしくお願いいたします
7月分【感想への賛】
原句の着眼や詩情が、主宰の添削によって生きます。
こういうふうに詠めばいいのだと、勉強になります。
>
15 薄荷糖舌に遊ばせ梅雨籠 柚子 2
動きのある季語がいい。『薄荷糖舌に遊ばせ水を打つ』
→薄荷糖を舐めながらの打ち水は清涼感に溢れます。
33 心太格子戸越しに浜の風 気儘 4
季語が「心太」ではあまりにもおあつらえ向き。季語を探すのも俳句の醍醐味。『心太格子戸抜ける浜の風』
→格子戸から風も景色も抜けて来ます。
67 夕菅の風の行方に富士暮るる 松の 1
「行方」は不要。『夕菅の風に暮るるや富士の山』
→野の広さとユウスゲの儚さを感じます。
75 高架下まずはビールの昭和かな なつ子 4
もっとすっきり、『E電が頭上を走るビールかな』
→帰りに一杯やりたくなりました。
121 麻を身に纏ふ楽しさ夏に入る 冬菊 2
下五、季重なりを避ける工夫を。「浜を行く」くらいでもOK。『麻を身に纏ふ楽しさ浜を行く』
→麻を着て波打ち際を歩く、爽やかな夏です。
141 梅雨の月姉との電話切りがたく ウサウサ 1
季語がちぐはぐ。「姉との電話切りがたく」これが生きる季語は?『さくらんぼ姉との電話切りがたく』
→桜桃が届き、お礼の電話をしたら故郷の近況が語られます。
燈穂さま
121 麻を身に纏ふ楽しさ夏に入る 冬菊
→『麻を身に纏ふ楽しさ浜を行く』
→麻を着て波打ち際を歩く、爽やかな夏です。
本当にそうですね。事実からなかなか抜けられない自分が歯がゆいです。
感想を下さり、ありがとうございます。
燈穂様
主宰様の直しでありました 迷惑をかけました
また宜しくお願い致します。
主宰様、暑い中をありがとうございます。
コメント欄がdesktopになると表示されていません。Mobile では表示されます。それでコメント欄にコメントが無いのではないでしょうか?
燈穂様が不思議に思っていたので、今気が付いてコメントしました。
かしこ
花埜さま
松のさまは、5月分と6月分の自句に一度にコメントされています。
以前5月分【感想への賛】にて、松のさまの句と主宰の直しとに賛を書きました。
古いコメントを遡れば表示されます。
なお、主宰の直しであって燈穂の助言ではありません、松のさまの勘違いです。
—————————-
燈穂 2024年6月5日7:12AMより:
5月分【感想への賛】
85 東京の友に手土産大場摘む まさよ 1
「大葉」でしょうか?
ご指摘のとおり大葉です。
変換ミスです。申し訳ありませんでした。